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内田裕也のRockな世界

「僕は今あの世にいます。ロックンロールに生きて、ロックンロールで死んでいけたことに感謝しています」



鮎川誠



裕也さん、本当に楽しかった。

一緒にロックンロールをずっとしてきた。

初めて裕也さんが博多に、俺たちに会いに来てくれた時、「おーい…内田裕也が来とるぜい」って言って、何しにきたんやろうかとか、俺たちはちょっと戸惑いがありました。

で、「ユーたち曲聴かせてくれ」とか、練習スタジオで裕也さんが僕らに言うてくれて。

で激励してくれて。

次の年、日本で初めての野外ロックコンサート、郡山のワンステップフェスティバル。

1974年でした。

素晴らしいアーティストたち。

外国からオノヨーコさんのプラスティックオノバンドも来て。

憧れのロックスターがいっぱいおる中に、僕たちも出演さしてもらって。

本当に、僕たちはおかげでデビューの道筋を作ってくれて。

もうその時から…本当に、たくさんたくさん恩を受けました。

「おい鮎川」っつってすぐに言うけど、「なんですか裕也さん」つーと、特に用事は無いんですけれども。

「はい」とか言うしか…。

僕らには大先輩やし。

本当に最初からロックスターやった。

日本の第1号のロックンローラーやったからね。

いつも一緒に居るけれども、僕からはとても裕也さんにお話しはできんやった。

そやけど、ローリング・ストーンズの話も、ジョン・レノンの話も。

「フランク・ザッパとあったんだよ。家に遊びに行ったんだよ。」たくさんたくさん。

「チャック・ベリーを成田から、(安岡)力也と両腕抱えて連れてきたんだ」っつうて。

本当に、ロックヒストリーの。

裕也さんこそがロックヒストリーやった日本の。

僕たちも裕也さんとおって楽しかった。

いっぱい素敵な裕也さんの仲間を紹介していただきました。

そして今年46回目を迎えたニューイヤーロックフェスティバル。

僕は裕也さんが楽屋に来た時、ご挨拶しても、声も聞こえんことでした。

「おい鮎川(ヒーヒーしゃがれた声で内田裕也のマネをする)」。

で、ステージに立たれた裕也さんをずっと見てたら、本当にステージでみんなのパワーをもらったんだろう。

満員の博品館劇場、声援を受けて突然大きな声で歌われたときには鳥肌が立ちました。

裕也さんは「ロックンロール!ロックンロール!!」って、ロック魂でやるぞっちゅうて、いつも言いますけど、本当にこれがロック魂やと思いました。

裕也さんがいつも見守ってくれるちゅうことは、とっても心強いことでした。

裕也さんがまさか今年で最後がなるやなんて思わんかった。

今年の12月には47回目(のニューイヤーロックフェスティバル)、もうそれしか俺…別れる時に思ってなかったから。

本当にありがとう裕也さん。

いつもおるけん。

裕也さんのスピリットはみんな日本の、裕也さんを目指して、裕也さんが見守ってくれたロックバンド、みんながロックスピリットを共有して。

俺たちは生きとる間はロックンロールやります。

ありがとう。

本当に。

安らかにお眠りください。

でもステージにはいつも飛び入り大歓迎です。

待ってます。

ありがとう。

ロックンロール!

イェーイ!



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堺正章



裕也さん、お疲れさまでした。

あなた、私たち後輩にとっては、良き手本でもあり、あしき手本でもありました。

そのあしき手本の中にあなたの魅力がたくさん詰まっていたような、今思い返すとそんな気持ちになってきます。

そして良き手本としてはロックンロールを貫いたということです。



本来ならもっと違う道もあなたの中にはあったのかもしれません。

でも貫き通すということの大変さと、誇りをあなたは身をもって我々に示してくれた。

そんな気がします。

昔、裕也さんは僕にこんなことを言ったことがあります。

「堺、歌手として長生きするにはどうしたらいいか分かるか?ヒット曲を出さねぇことだ」

それもあなたは貫きましたね。

その言葉変な山を作らずに、自分の思いで淡々と生きていけ。

そんなことを教えてくれたような気がします。

奥さんの樹木希林さんもつい最近あの世に旅立ちました。

あなた呼ばれたんですよ。

あなた1人でこの世にいちゃ危ないってんで。

樹木希林が呼んだんです。

今会ってるでしょ?

呼ばれたことを言われた時に、呼ばれたんだからって、俺も1人くらい呼んでやるかとか、そういうのはやめてください。

もうちょっと僕らこっちでがんばります。

見守ってくださいよ。

本当にあなたは若い頃は、とんがって、つっぱって。

あ?、触るのも怖いくらい恐ろしい人でした。

でも、晩年はとてもまあるくなった。

とても素敵なとても優しい紳士になってきました。

裕也さん、あなた覚えてますか?

僕がその中の思い出として一番あるのが、あなたの古希の誕生日の会の時、私も呼ばれて行きました。

裕也さんは一言もその前に司会をやれとか言わなかったのに、現場に行ったら「お前が司会だ」と。

あの時いきなり決められて。

仕方ないので私が司会をやりました。

で、会場にいるお祝いの皆さまの顔を見たらアントニオ猪木さんがいらしたんで、私も言わなきゃいいのに…

「猪木さん、裕也さんに気合入れてください」と。

その時に、猪木さんも「ま、今日はお祝いですから」とやめてくれればいいのに「よーし、やったるか」と。

センターに出てきて猪木さんが裕也さんに「よし!足を開いて歯をくいしばれ!1!2!3!」バチーンとやりました。

裕也さんがくらくらっと来たのを今でも覚えています。

それを僕が支えたとき、小さな声で『シェケナベイベー』と言ってましたね。

でも、気づかない僕がバカでした。

本当は『医者呼んでくれ』と言ったんですよね。

後で楽屋に行って、余計なこと言ってあんな展開になってしまったと謝ったら、『堺、ありがとう』って。

殴られたのは30年ぶりだったみたいで、『誰に殴られたの?』と聞くと『樹木希林に決まってるだろう』って。

まねができないすてきな人生。

あの世でもロックやってください。

そして、天国へ行ってください。

俺は地獄の方が似合うとか言わずに、天国へ行って、奥様に会って、今まで埋められなかった時間を埋めてください。

裕也さんのことは一生忘れずに生きていきたいと思います。

お疲れ様でした。



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